城ヶ島常光寺002

みうら城ヶ島 常光寺 1573年開祖


城島山常光寺
浄土真宗本願寺派 三崎最福寺の末寺

事実関係、真実をを明確にする為に、今朝、住職様に城ヶ島で噂をされている色々な質問をさせて頂きました。

おもしろ可笑しく噂は出るものです。結果、噂は真実ではないとの回答を頂きました。

噂の一つ一つを質問させて頂きましたが、その噂のすべてが事実無根でした。

また観光橋の小桜姫は昭和34年に下里建設が再建に携わったそうです。

また住職様も過去には何度も小桜姫に赴いたそうです。

ここはもと阿弥陀堂跡で天正元年①僧了善が一寺を建立し開基と伝えられている。
享保9年②正木左近太夫が現在地に房総の里見軍を率い、布陣した跡で、当時の名主飯島久右衛門が三崎窪村の大工六次郎に依頼し堂宇を造営したという。
昭和11年の城ヶ島大火により焼失したが、昭和28年に再建された
出典 「三浦半島の古刹めぐり」 松浦豊著

今から800年も前のある日、頼朝は多勢の武将とともに風光明媚な三浦三崎にやってきた。
そのとき頼朝は「今日は良い天気ゆえ、島に渡って酒宴を開けるようととのえよ」と家来に命令した。
島に渡った一行は、安房の国(千葉県)に向かって長くのびた安房の洲崎の午前とよばれる地で宴を開いたが、そのとき頼朝が楊枝を土に挿すとこの楊枝が幾日かたって芽をふき、枝葉wだして大きな柏槇に成長した。
やがてその木は人がかかえられないほど立派なものになったので、三浦の五名木の一つに数えられるようにさえなり、いつでも近郷の人々の話題になるほどだった。
ところが貞享3年4月に「たつみの大風」が吹いて、老木の洞穴より自然に火が出て炎上し、ついに由緒ある名木も枯れてしまったのである。名木が遺したものは無残な巨幹だけだった。
ところが、名木は枯れても名木である。
やがてこの柏槇をけずって煎じて飲めば「絶対に風邪をひかない」とか「風邪がなおる」といううわさが村から村へつたわると、近在の村人達によってだんだんけずりとられ、もちかえられてさすがの名木もしだいにほそくなった。そこで一時は島の海南神社に置いてあったのだが、常光寺の本堂の脇に保存するようにした。
しかし昭和11年の大火で柏槇は本堂と一緒に焼失してしまい、長い間語り伝えられた名木もこんどは影をもとどめなくなってしまったのである。
出典 「三浦半島の伝説」 田辺 悟著

①この頃の時代背景
•1573(天正1)年:織田信長、足利義昭を京都から追放。室町幕府滅亡。
•1573(天正1)年:信長が浅井・朝倉氏を滅ぼす。
②この頃の時代背景
•1721(享保6)年:評定所門前に目安箱を置き、庶民の声を聞く。
•1721(享保6)年:小石川薬園を江戸に作る。
•1723(享保8)年:情死の罰則を定め、歌舞伎・浄瑠璃の心中物の上演を禁止する。
•1723(享保8)年:足高の制を定める。
•1723年:清がキリスト教を禁止する。
•1726(享保11)年:美作国津山藩の農民が一揆をおこす(山中一揆)。

城ヶ島小桜姫実行委員会 jyogashima.com

三浦小桜インターネット放送局 miura-japan.com

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